皆さん、こんにちは!
連日、猛暑日が続いていますね・・。
熱中症で運ばれる方も多いので、室内でもしっかりと水分・塩分補給をして下さいね!
今日は、茶道を習う上で覚えてほしい大切な言葉をご紹介します。
日常生活を送る中でも大切にしていきたい言葉ばかりですので、参考にして頂けると嬉しいです。
「一期一会」の由来と意味
「一期一会」という言葉の意味は、ほとんどの人が知っていると思います。
「一度しかないこの出会いを大切にしましょう」という意味です。
以前、「利休が伝えたかった茶道の心とは」という記事の中でも、少し触れています。
言ってしまえば簡単ですが、この言葉はとても奥が深いです。
例えばお茶会では、茶会によって用いられる花が違い、テーマによって床の間を変えます。
また、そこに集まる人が違えば、使われる道具も異なります。
全く同じお茶会が開かれる事はありません。
なぜなら、開催日が変われば、茶会のテーマも変わるからです。
また季節感をとても大事にする茶道では、使われる道具や花の種類も季節によって異なります。
同じ茶会が二度開かれる事はありませんので、亭主は「誠心誠意を込めてお客様をもてなそう」と考えます。
「一期一会」という言葉は、亭主・お客共に互いに誠意を尽くす心構えを意味するのです。
またこの言葉は初対面の人だけに限らず、何度も会っている人にも使える言葉です。
「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と
戒める意味もあります。
この言葉には「常に今日が最後だと思って感謝の気持ちを忘れないようにする。」という意味が隠されています。
常に今は今しかないのです。
そうゆう気持ちを持って、日々いろんな人と接していきたいですね。
では、この言葉の由来をご存知の方は、あまりいないのではないでしょうか?
次は由来について、説明します。
「一期一会」の言葉の由来は?
元は千利休の言葉とされています。
ただ「一期一会」と言う言葉が四字熟語が言葉として確立したのは、やはり茶道との関わりがあるんです。
利休は自著を残していませんが、弟子の山上宗二(やまのうえ そうじ)は著書『山上宗二記』の中の「茶湯者覚悟十躰」に、利休の言葉として
「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」
(引用:wikipedia)
という一文を残しています。
「一期」はもとは仏教語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち人の一生(人生)を指します。
たかがお茶会と思うかもしれませんが、その時のお茶会は一生に一度しかありません。
ということは、そのお茶会の亭主とお客はそれぞれの人生の中で、たった一度きりの出会いになるかもしれません。
利休の茶の様式であるわび茶においては、茶事の進行に火の強さと湯の煮え具合が相応し、自然な茶事の流れにより亭主と客の息遣いの調和が生まれることが、重要視されました。
古来利休の秘伝書とされてきた『南方録』には、
「一座一會ノ心、只コノ火相・湯相ノミナリ」(引用:wikipedia)
として「一座一会」の語のもと、関係する精神が継承されています。
さらに、江戸時代末期になって、茶道に熱心だった大老・井伊直弼が茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に以下のように記しました。
抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會(え)なり。
さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。
とあり、ここで「一期一会」という考え方が誕生しました。
まとめ
今回は「一期一会」の意味を少し詳しく説明しました。深く掘れば掘るほど、この言葉の奥深さに感動します。
忙しない日常生活の中で、これから何度も会う機会があると思っていたとしても、実はそうではないかもしれません。
いつも会えていた同僚が急に転勤になったり、身内が急に他界したり・・・
だからこそ、いま行える精一杯の心遣いと感謝が大切です。
「毎日会っているから」と蔑ろにするのではなく、感謝したい。と思った事があれば、すぐに伝えるようにしましょう!
私は、この言葉は仕事に於いても使える言葉だと思います。
つい後回しにしてしまいがちな事も「常に今は今しかない」と思うだけで、時間の使い方や効率がきっと良くなります。
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