千利休の前に茶道を作った人がいた?!

皆さん、こんにちは!

今日は茶道を習う上で、ぜひ知っておいてほしい「村田珠光」という人について、お話します。

村田珠光は一番最初に茶道を作った人と言われています。その生涯と弟子に送った有名な手紙についての解説をしていきます。

 

村田珠光って何者??

 

 

茶道を習っていると色んな茶人の名前を聞きますが、その中でも「村田珠光」はぜひ覚えて欲しい人物の一人です。

なぜなら、村田珠光が茶道の「侘茶」を創始した人だからです。

ここで「ん??茶道の創始者は千利休じゃないの?」と思う人がいると思います。

確かに千利休は茶道を作った人ですが、それ以前に茶道の原型(侘茶の原型)を作ったのが「村田珠光」なのです。

千利休は村田珠光が作った茶道(侘茶)を完成させた人です。

 

では、村田珠光の生涯を少し見ていきます。

村田珠光は室町中期の茶人で、侘茶の開祖です。

30歳の頃に禅僧となり、臨済宗大徳寺派の一休宗純に参禅しました。

能阿弥との関係も深く、花の弟子となり茶・目利きを学びます。その後、能阿弥の引き立てにより足利義政の知遇を得て還俗し、六条堀川醒ヶ井通西に茶帝を構えます。

了海上人遷化ののち奈良へ帰り、京都にて死亡。
(引用元:wikipedia)

 

実は、村田珠光についての資料は数少ない上に、あまり残っておらず、まだまだ謎が多い人なのです。

 

村田珠光が作った茶の湯(侘茶)とは?

 

日本の伝統文化を代表する茶道・花道(華道・生花)も、この時代に基礎が作られました。

茶の湯では、南北朝時代以降、各地で闘茶が流行しましたが、この時期に村田珠光が出て、枯淡美を追究する連歌の精神に学びながらそれまでの書院の茶に対し、簡素な茶室で心の静けさを求める侘茶を創設しました。

侘茶の方式は、村田珠光ののち堺の武野紹鴎(たけの しょうおう)を経て、千利休によって完成されることになります。

村田珠光は能阿弥から書院茶の指導を受け、また当時庶民の間で流行していた「下々の茶」の様式を取り入れるとともに、一体宗純に学んだ禅の精神を加えて、新しい茶会を考案しました。

そして四畳半の茶室を創案し、不完全な美を尊ぶ「わび茶」を作りだしました。

道具鑑賞の場であったそれまでの茶会を、精神性の高い交流の場としようと試みた珠光の茶は「奈良茶湯」とも呼ばれるようになりました。

 

珠光茶会に行ってみよう!

毎年、奈良で2月頃に「珠光茶会」というお茶会が開催されます。

珠光茶会とは、、

奈良には多くの優れた文化が息づいています。世界遺産「古都奈良の文化財」はもとより、いにしえより受け継がれる、日本の「源流」ともいえる社寺の伝統行事や伝統芸能、奈良墨や奈良晒などの伝統産業が有形、無形の文化遺産として存在しています。

そうした中に、珠光により育まれた茶の湯があります。珠光は「わび茶」の精神による茶の湯を創始し、今日、日本の代表的な文化の一つである「茶道」の基礎をつくりました。このように、珠光により育まれた「茶」も、奈良を「源」とする大切な文化であり、この「茶」を通して、奈良の魅力を発信したいという思いを結集する場として、ここに「珠光茶会」を開催いたします。(珠光茶会HPより)

 

村田珠光が奈良の生まれである事から、毎年奈良で開催されています。

このお茶会は、三千家だけでなく、薮内流や遠州流など様々な流派が集結し開催されるお茶会です。

私の先生の他のお弟子さんも、この時「濃茶」をお点前をしていました。

私も行ってみたいのですが、毎年仕事があったのと、値段も少し高いのでまだ行けていません。

少しお値段が張るお茶会ですが、一度にこれだけの流派のお茶会を見る機会もそう無いと思いますので、機会がある方はぜひ一度行って見てください。

 

 

村田珠光の「心の文」とは?

 

村田珠光が弟子の古市播磨(ふるいち はりま)にあてた文章の冒頭の一節です。

「茶道」という言葉はまだ無い時代ですが、「茶の湯」を人間の生き方を含む「道」として捉えています。

現代語訳

この道において、まず忌むべきは、自慢・執着の心である。達人をそねみ、初心者を見下そうとする心。もっての他ではないか。
本来、達人には近づき一言の教えをも乞い、また初心者を目にかけ育ててやるべきであろう。
そしてこの道でもっとも大事なことは、唐物と和物の境界を取り払うこと。(異文化を吸収し、己の独自の展開をする。)
これを肝に銘じ、用心せねばならぬ。さて昨今、「冷え枯れる」と申して、初心の者が備前・信楽焼などをもち、目利きが眉をひそめるような、名人ぶりを気取っているが、言語道断の沙汰である。
「枯れる」ということは、良き道具をもち、その味わいを知り、心の成長に合わせ位を得、やがてたどり着く「冷えて」「痩せた」境地をいう。
これこそ茶の湯の面白さなのだ。とはいうものの、それほどまでに至り得ぬ者は、道具へのこだわりを捨てよ。
たとえ人に「上手」と目されるようになろうとも、人に教えを乞う姿勢が大事である。
それには、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。しかしまた、自ら誇りをもたねば成り立ち難い道でもあるのだが。
この道の至言として、 わが心の師となれ 心を師とするな(己の心を導く師となれ 我執にとらわれた心を師とするな)と古人もいう。
(現代語訳 能文社 2009年)

 

村田珠光が残した「心の文」、どのように感じましたか?

この言葉は、現代の私達にも通じる所があるのではないでしょうか?

いつでもどんな時でも、人に教えを乞う時はその姿勢が大切で、初心者を見下さず丁寧に教えてあげる事が大切です。

そして、自分自身も何かを教わる時には、自慢や執着の心を捨てて常に謙虚な姿勢で学ぶ事が重要だと、私は感じました。

皆さんは、どうでしたか?

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